尾崎豊 - 17歳の地図 (1983)

「尾崎豊」という世界観に出会ってから、もう八年になる。当時中学生だった私は何から何まで尖りきっていた。今思えば、厨二病気質の抜けない、自己陶酔した派手に痛い人間だ。異様な程に大人になることに拘り、背伸びをする生活。この頃はまだ、背伸びは幾らでも出来るけれど、どう足掻いても戻ることは出来ないという子供時代の重要さを理解していなかった。

私の故郷は、いくら県庁所在地に位置していた街とは言えど、どの県民から見ても田舎と位置づけられる場所である。
若者の娯楽というならばせいぜい近所にあるファストフード店がやっとだ。オープンな社会に対しての疲弊、また大人への反発によって良からぬことを考えていた自分にとって、このアルバムとの出会いはそれはセンセーショナルなものだった。

十代の折り返しに聴いた時、尾崎豊からのメッセージだと強く信じていた。「俺らの気持ちを代弁してくれている」と本気で思っていたのだ。稚拙な部分のみを抽出し、曲がった描写を描きたがる歳頃の中学生にとって、これがどれほど若者の気持ちを駆り立てたか。それはきっと尾崎自身が望んでいた形では無かった筈である。
現に生前の彼も若者の代弁者だとメディアからはやし立てられ、お茶の間の色物として生きていたようである。しかしこのアルバムは十代の尾崎自身の叫び以外何物でもなかった。雑記のように描き殴られてはいるし、不器用な筆致なのかもしれないが、これが現役十代の尾崎が感じていた心の声なのだ。歳を重ねて改めて聴き返してみれば、単に彼のエピローグという存在であり、若者にああしろ、こうしろ、と講釈を垂れてもいない。

今でも尾崎は不良の扇動者として語られたり、字面だけでコンプライアンスを判断づける大人から眉唾物として扱われているのを見かけるが、断じてそんなものでは無いのだと思う。他のアーティストと同じように、実体験に仮想空想を混ぜ込んで曲を織り成している、何の変哲もないアーティストだったのである。

二十代になって、十代の苦しみを歌う描写と自分自身に軋轢が生じ、少しずつ表業界から去っていってしまったというエピソードがある。十代の若き代弁者であった彼にとって、この肩書きは重くのしかかっていたのではなかろうか。フレッシュさを重んじる歌詞を求められれば其れを書けば良いのだが、子供時代に感じる生の感情は大人が書いても渇き切ったものになってしまう訳だから。

生きていて欲しかったと今でもこぼすファンは沢山居るし、彼の死後に生まれた私自身も時折思うのだが、遅かれ早かれ彼は斃死の一途を辿っていたのではないかと思う。若く熱く居ることに情熱を注いでいた彼だから、忘れていくこと、失っていくことは苦しくて耐えられなかったのではなかろうか。確か俳優の沖雅也も生前にそんな言葉を残していたようだ。
きっとあのまま歳を食って初老の男になったとしても、十代の叫びを終えた尾崎は何処かで路頭に迷うことになったのではないだろうかとずっと考えている。加齢に対する苦しみを抱えて亡くなっていく芸能人は多く居たが、尾崎自身もその苦しみに苛まれることは少なくなかったのかもしれない。

と、前置きが長くなったけれど、自身の尾崎ブームは高校に上がると同時に休眠状態に入っていた。何せ中坊の頃の自分がとても嫌いであり、尾崎の曲を流すだけで容易に追憶できてしまうということがあったからである。曲自体は好きなのであるが、思い出が邪魔をして純粋に聴くことが出来ないというよくあるジレンマである。
そんな自分も大学生になり、親元を離れてから改めて様々なことを考えることが増える。考える内容の変容に則し、十代の頃に聴いていた音楽の聴き直しを行う最中、偶然の再会を果たしたアルバム。きちんとアルバムと言う形を持って、永遠と聴き流す機会が少なかった純現代人の私にとって第二次成長期と言っても良いほど、新たな風を送ってくれるのがこのアルバム。

街の風景に始まり、十代で感じる様々な悩みや苦しみを赤裸々に綴っている本作。似通った過去が有る無しというのは別にして、一度は耳に入れておきたいアルバムの一つである。厨二病気質とは関係無く、もし自分が亡くなった折にはこのアルバムを棺に入れてもらいたい。

私のレコード録

空蝉 夏目 と 惰眠 というペンネームで小説やエッセイを書いたり、フィルムカメラを嗜んでいます。2000年生まれの人間から見た昭和曲を、ヴァイナル盤を通して書き綴っていきます。

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